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札幌家庭裁判所 昭和46年(家)1019号 審判

申立人 竹田清子(仮名)

相手方 新井英司(仮名)

主文

事件本人の監護者を申立人に変更する。

相手方は申立人に対して事件本人を引渡せ。

申立人のその余の申立を却下する。

理由

一  申立の趣旨および実情は別紙のとおりである。

札幌地方裁判所昭和四一年(わ)第五八四号暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件記録、本件記録中の各戸籍謄本、函館市長および北海道警察本部長に対する照会の結果、調査官に対する申立人、相手方、新井操および長谷鉄男の各陳述の聞き取り書、調査官の相手方、青倉満および申立人に対する電話照会の結果、申立人(第一、二回)、久野ミエ、川口加代子、立木恵子各審問の結果を総合すると次の事実を認めることができる。

(一)  申立人は昭和三五年頃(申立人二三歳の頃)相手方と内縁関係を結び、昭和四三年四月二六日婚姻の届出を了え、同年六月七日事件本人(長男)を分娩したが、昭和四五年四月頃別居し、同年五月六日親権者を相手方と定めて協議離婚した。

しかし上記親権者の指定にもかかわらず、上記別居の時から申立人が事件本人を養育してきたところ、昭和四六年五月一一日午後七時過ぎ頃、相手方は暴力を用い、申立人の抵抗を抑圧し、申立人の許から事件本人を連れ去り、事件本人は目下のところ相手方およびその母新井操の許で養育されている。

(二)  申立人と相手方とが同棲を始めた頃は、申立人はホステスとして働き、相手方はダンスホールのマネージャーのような職業に一応は就いていた。しかしその後の相手方の勤務の実情は申立人にも明らかでなく、生活費として申立人に手渡される金額も一定せず、金額的にもそれだけで一家の生計をまかなうには必ずしも充分ではなかつた。

その後、相手方は二、三の職に就いた形跡もないではないが、いつ勤務先を辞め、どのような職業に再就職したのか、その実情もまた明らかではない。ただ、申立人は時々は相手方から生活費として若干の金額を受け取つており、多くの場合、その額は一回に数千円から一万円どまりであつたが、相手方が宅地造成に関与していると称していた時に一度、八万円という金額を手渡されたことがあり、また相手方が飲食店経営に関与していると称していた時に一度数万円というまとまつた金額を受け取つたこともある。しかし、これらの収入源は必ずしも分明ではない。すなわち、相手方は高尾組と称するいわゆるヤクザ組織の一員で、良行グループと名のる一団の中心的存在であり、昭和三五年から昭和四一年までの間に暴力事犯として有罪の宣告を受けたこと三回、起訴猶予一回を数えている。

したがつて、申立人は婚姻後もホステスとして働き、また事件本人出生後は、相手方の母新井操も相応の経済的援助を与えていた。

(三)  もつとも、相手方は、事件本人の出生もあり、申立人の勧めもあつて、昭和四四年一二月頃申立人の実家を頼つて申立人、事件本人と共に北海道余市郡○○町に移り、そこでいわゆる堅気になつて働くことを承知したことがあつた。しかし、けつきよくは口先だけに終り、みずから積極的に勤労の意欲を燃やすまでに至らず、申立人の母があれこれと紹介する就職口も断り、時折り札幌へ出ては実母操から金銭を貰うなどして、依然として遊んで暮らす状態は変らなかつた。

そのため、申立人としても親、兄姉の手前もあり、自分達夫婦や事件本人の将来をも考える時、勢い相手方の無為徒食を責める気持となつて現れ、これがもともと短気な相手方の感情を一層刺激する原因となり、相手方は申立人に対し発作的に暴力を振う事態が生じた。そして、このような相手方の生活態度は、事件本人の出生にもかかわらず一向に改まる気配がないところから、ついに申立人も離婚を決意せざるを得なくなり、たまたま口論の末、相手方が申立人に向つて刃物を振り上げた事件をきつかけとして、昭和四五年五月申立人は事件本人を伴つて○○町の家から逃げ出し、一先ず旭川市内に身を隠し、協議離婚の交渉を親、姉に委任した。そこで申立人の姉のうち次姉立木恵子が相手方との離婚話を決める衝に当ることになつたが、申立人の希望としては事件本人を相手方に取られないことが殆ど唯一のものであつた。

(四)  相手方は行方をくらませた申立人の姿を一時は探したけれども、けつきよく知れないので、○○町の住居を引き払つて本州方面に働きに出ると言い、相手方の母操が相手方の荷物を取りまとめるために○○町まで出向いて来た。

そこで立木恵子は、相手方が監気になつた場合は申立人との復縁の見込みがないでもないことをにおわせながら、相手方および相手方の母に対して協議離婚の話を切り出したところ、相手方は、「子供(事件本人)の籍はやれない。俺の位牌持ちだから。」と親権者を申立人とすることには強く反対したが、離婚そのものには同意する態度を示した。立木恵子は、申立人の気持も汲んで、事件本人の「籍」も申立人に移すように要求し、この点については更に交渉したけれども、相手方も上記のとおり、「籍」の点は譲らず、これに固執するときは協議離婚そのものの成立が危ぶまれる雲行きとなつたので、申立人には図らないまま事件本人の「籍」の問題は譲歩することとし、ただ「子供が大きくなれば、いずれ子供が判断することだから、それまでは妹(申立人)に育てさせてくれ。あなた(相手方)も内地へ働きに行くのだし、お母さん(新井操)も働いているのだから。」と申し入れ、事件本人を申立人の手許で養育することの承諾を求めたところ、これについては相手方も了承した。かくして、二、三日後に立木恵子が札幌へ出向き、札幌市役所で双方が落ち合つて協議離婚の届出をすることの合意が成立した。

(五)  そこで昭和四五年五月六日申立人側からは立木恵子および川口加代子(申立人の第四姉)が、相手方側からは母操が札幌市役所へ出向き、協議離婚の届書を作成し、提出した。この協議離婚届書の作成に際しても、その記載を代行した者から、事件本人の親権者を父母いずれにするかについて質問があつたので、立木恵子は申立人とするよう再度主張してみたが、新井操から「息子(相手方)が親権者となるように固く言われて来たのだから、親権者は絶対に息子でなければならない。」と反論され、けつきよく前に合意したとおり親権者を相手方と定めて協議離婚の届出をすることを承諾するほかなかつた。

(六)  申立人は協議離婚が成立したのちの昭和四五年九月頃札幌市内へ戻り、ホステスとして自活しながら事件本人の養育に当つた。すなわち申立人が働きに出ている夜間は同じアパートに注む知人に事件本人を預かつてもらつたが、昼間および帰宅後はみずから養育に専念した。

昭和四五年九月末頃、入院中の相手方から事件本人の顔を見たいから連れて来て欲しいとの申入があり、申立人は事件本人を相手方に面接させたが、この時はさしたる問題を生じなかつた。しかし、その頃から、相手方は申立人に対し、しばしば交際を要求し、申立人が応じないでいると、あるいは事件本人の所在場所を教えるように要求する電話や、「街を歩けないようにしてやる」との脅迫の電話をかけて来るようになつた。

このような状況のもとで、幼少の事件本人を抱えて申立人がホステスとして自活することは容易なことではなかつたので、申立人は事件本人を昭和四五年一一月頃○○町の実母の許に預け、一時その養育を依頼した。そして、申立人は昭和四六年三月長谷鉄男と内縁の夫婦として同居するようになり、生活も安定してきたので、同年四、五月頃、事件本人を手許に引き取り、再び養育に意を注ぎ得るようになつた。ところが同年五月一一日午後七時過ぎ頃、相手方は申立人の店に来て、「子供に会わせろ」と要求し、相手方を案内しようと店を出た申立人に対しやにわに殴る・蹴るの暴行を加え、申立人の反抗を抑圧したうえ、自動車に乗せて事件本人の預け先に案内させ、「余計なことをするとこうなるんだ」との捨てぜりふを残して申立人の面前で事件本人を連れ去つた。

この時の暴行によつて申立人の顔は形が変り、一週間ほどの間は外出も出来ないほどであつた。

(七)  申立人と長谷鉄男とは婚姻の届出をすることで意見が一致しており、長谷鉄男は単に事件本人を引き取り養育することを承諾しているだけでなく事件本人と養子縁組をすることをも希望しているが、本件の係属により長谷鉄男に不測の災を及ぼしてはならないとの申立人の配慮から、本件が落着するまで婚姻の届出をも差し控えている。長谷鉄男は従業員七名前後のスナックバーの経営者で、経済的な基盤は確立しており、申立人が事件本人の親権者となることを望み、事件本人を加えた今後の生活についても、それなりの配慮をしている。そして申立人はマダムとして、この店の運営に当つている。

(八)  相手方の母操は料亭の下働きをし、月収は食事付きで手取約三万円の収入があり、相手方と共にアパート(庶民的な構造・規模のもの)に居住している。したがつて昭和四六年五月一一日以降の事件本人の世話は、昼間

は主として新井操が当るとしても、夜間は相手方が受け持たなければ、他にこれに当る者は居ないものと推測される。

相手方が現在職業を有しているかどうか、その収入がいくらかは共に不明であるが、相手方には固疾があつて昭和四六年五月頃まで入院加療している。そして五月初旬一応は退院したが、その後、再入院の噂を聞き、その再起を危ぶんだ申立人は本件申立を維持すべきか否かについて一時躊躇を示したこともあつた。しかし、けつきよく事件本人を手許に引き取りたいとの母親の愛情が相手方への同情を凌ぎ、本件申立の実現を求めているものである。

なお、相手方の事件本人に対する愛着の強いことは申立人自身も承知しているところであり、婚姻中のそれはむしろ溺愛に近かつたし、事件本人を連れ去つてからの養育状況にも、申立人が人を介して調べたところでは、とくに指摘すべき欠点を見出し得なかつた。

二  以上に認定したとおり、事件本人に対する愛情の強さという点では申立人と相手方との間に優劣はなく、知能、教育程度、経済的条件の諸点においてとくに親権の帰属を動かすべき決定的な差異は見出せない。しかし、事件本人が未だ四歳に満たない幼児であり、少くとも義務教育終了程度までは母親の手許で育てられることが子供の情緒的発達の上で好ましいこと、しかも昭和四六年五月一一日までは申立人が実際の養育の任に当つてきたこと、同日以降、相手方の許で養育されてはいるが、それは法的に容認し難い暴力によつて拉致された結果であつて、現在の養育も決してこれに専念できる女手があるわけではないこと、とりわけ相手方はその正業および収入の有無すら不明であり、かつてのやくざ組織と完全に絶縁した形跡を見出し得ないこと、相手方自身も事件本人を連れ去る際に申立人に対して常識を越えた暴力を振つていることから推して、子供の性格、心理、情操などに相手方の養育環境が及ぼす影響はとうてい好ましいものとは考えられない。むしろ事件本人の年齢、相手方の性行およびその社会環境を申立人の社会的環境、事件本人に対する母親としての心理的なつながりなどと対比すれば、事件本人の福祉という目的の上からは、その監護・養育者としての適格性において、やはり申立人に優位性があるものと言わなければならない。

しかも、上記一で認定したところによれば、本件協議離婚の交渉の過程において、申立人が監護・養育に当り、相手方は親権者となることで合意が成立しながら、協議離婚の届出の際、申立人側において監護の権限を留保する方途を知らなかつたために、この法的な用語による留保が脱落したとみられる事情があるのであるから、申立人を監護者と定めることは、むしろ当初に成立した双方の合意を実現するにすぎないものとも言うことができる。

なお、申立人が再婚(内縁)していることは前記一認定のとおりであるが、同認定のとおり、事件本人の監護養育について長谷鉄男の協力を期待できる以上、かかる事情は、なんら上述の判断を左右するものではない。また申立人の現在の職業も事件本人の監護者としての適格性を覆えすものではない。

申立人は親権者の変更を求めるものであるが、上記一で認定したところから明らかなように、本件紛争は相手方による事件本人拉致によつて生じたものであり、この事件が起らなければ、当分の間は、相手方を親権者と定めたまま申立人が現実には事件本人を養育するという状態で推移したであろうことが推測される。この意味で、本件申立にはいわば子の引渡請求の手段としての性格があることは否定できない。換言すれば、当初の合意にそつて、明確に事件本人の監護権が申立人に留保されておれば、そのうえさらに親権者変更の申立をしなければならない必然性(あるいは事件本人の福祉上の必要性)は未だ十分とは認められない。

このような事情および相手方の病状に関する申立人の微妙な心遺い(前記一(八)参照。なお当裁判所の調査結果に基づけば、申立人のこの心遣いは、相手方の病歴に照らして、まことに有意義なものと考えられる)、ならびに相手方の事件本人に対する強い愛情を考え、本件当事者間では、養育環境の点で優劣は認められるものの相手方から親権の全部を取り上げなければならぬほど子の福祉に決定的な障害は見出し得ないことを斟酌すれば、すでに監護権を申立人に帰属させたことによつて内容的には希薄化してはいるけれども、親権を相手方に留めて成り行きを見守るのが相当と考えられる。

すなわち、申立人が親権を全面的には行使できないことによつて、さしあたつては事件本人と長谷鉄男との養子縁組とか将来の子の氏の変更は制肘されることになるけれども、これらの問題は事件本人の成長(満一五歳に達した頃)をまつて子の意思に従つて決する途もあり、本件において今ただちに事を決しなければ事件本人の福祉の上で明らかに支障を生じるような事情は認められない。そして、事件本人の意思能力の熟成前でも、相手方に子の監護・養育の支障となるような不行跡があつたり、あるいは子の監護上に明らかな支障があれば、申立人が新に親権者の変更を請求することはなんら妨げられないのであるから、むしろ現在のところは、監護者の変更にとどめて、相手方が事件本人の親権者としての責任を自覚し、事件本人が成長した暁に父として敬愛できるような途を歩むことを期待し、合わせて事件本人の引渡および今後の養育・監護が円滑に行われるように配慮することも、けつきよく事件本人の福祉に資するものと考えられる。

三  事件本人に対する監護権は、従前、親権に内包されて相手方が行使していたわけであるから、これを申立人に行使させるのを相当とする以上、本件審判において申立人を監護者と定めることも民法七六六条二項にいう子の監護者の変更に該当するものと言わなければならない。(このような監護者の変更についても、なんら時期的な制限はないものと解される。)したがつてまた、親権者と監護者の分離が許される現行法の下では、親権者の変更を求める申立は、とくに反対の意思が窺われないかぎり、全部一部の関係において監護者の変更の申立を内包しているものと解するのが相当であり、親権者変更の申立において、監護者を定めることは単なる付随的処分とは解されない。

よつて、事件本人の監護者を申立人に変更し、これに付随して家事審判規則五三条により相手方に対し事件本人の引渡を命じ、申立人のその余の申立部分を却下することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 山本和敏)

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